大野の風土に育まれた味と技術を地域の宝に。
野村醤油 株式会社
代表取締役 野村 明志
会社の事業について教えていただけますか?
江戸時代は桶屋を営んでいたそうですが、明治初期に醤油・味噌の製造に転身してから約140年になります。店舗は旧美濃街道に面しており、古くから城下町に入る前の荷下ろし場として物流の拠点だった場所です。米や豆も手に入りやすい環境だったのだと思います。
大野市は人口の割に醸造業が多く残っていますが、醸造に適した気候や豊かな湧水という、大野らしい風土が醤油・味噌づくりに適しています。現在は醤油・味噌の製造販売のほか、さまざまな「だし醤油」などの加工品も手がけています。
家業に入られたきっかけは?
幼い頃から、将来は醤油屋になると決めていたようです。小学生の時の作文にもそう書いていました。製造工場が遊び場でしたし、親に言われるまでもなく、自然と家業を引き継ぐつもりで育ちました。 その後、醸造を学ぶために東京の大学へ進み、卒業後は修行のため秋田の醤油・味噌メーカーで3年間勤務しました。子供の頃からの夢をそのまま実現できたという意味では、幸せなことだと感じています。
事業承継されてから取り組んだことや苦労した点は?
2009年、33歳の時に父から代を譲り受け、私で6代目となりました。前年にリーマン・ショックがあり、世界的な不況の余波が地方にも色濃く残る中だったので厳しいスタートでした。
醤油や味噌は日本人にとって欠かせない調味料ですが、食の多様化により家庭での消費量は年々減少しています。業界全体の出荷量も昭和48年のピーク時から約6割まで落ち込み、工場も減り続けているのが現状です。
そうした中、食卓に登場する機会を増やそうと、醤油加工品の開発に力を入れました。「おろしそば専用つゆ」や「里芋ころ煮だし」「舞茸ぽん酢」など、大野の特産品をより美味しく楽しんでいただけるような商品を揃えています。
また、就任当時のリーマン・ショックの影響から地域を元気づけたいと、仲間内で「醤油カツ丼」を開発しました。「世界醤油カツ丼機構」という少し大げさな組織を立ち上げたのですが、ちょうどその時期にB級グルメブームやSNSの普及も重なり、メディアにも大きく取り上げていただきました。市内の飲食店にも広まり、大手コンビニで商品化されるなど知名度が上がったことで、地域にお客様を呼び込むきっかけにもなりました。活動から15年が経ち、今では大野の食文化として定着しています。
最近では、北陸新幹線の延伸や中部縦貫道の開通を見据え、当店の強みである「麹造り」から体験できる「体験蔵 重右ェ門」もスタートさせました。
今後の展望をお聞かせください。
醤油カツ丼の取り組みを通じて、「地域のために動くことが、巡り巡って自分たちに返ってくる」ということを学びました。それ以来、福井や大野という地域性を念頭に置くようになり、大手メーカーにはない「地域の個性を活かしたものづくり」をアイデンティティにしています。 この地で育まれる醤油や味噌は、大野の風土が醸す唯一無二のものです。これを地域の宝として守り、次世代へつなげていきたい。体験蔵などを通じて、伝統的な技術を地域に開いていくことで、みんなでこの土地の味を大切にしていければと考えています。