Interview

株式会社 天たつ

ビジョンを実現するために着実に一歩ずつ叶える。

株式会社 天たつ
代表取締役 天野 準一さん

会社の事業について教えていただけますか?

江戸時代の文化元年(1804)からなので、創業から222年経ちます。現在、私で11代目と代々受け継いで今に続いています。 福井の特産品である「汐うに」を初めてつくったことから、今では様々な海産物の加工品小売を行っています。店舗としては、片町に本店を構え、福井駅の「くるふ」に1店舗、東京の日本橋三越にも出店しています。

事業を承継される前のお仕事や、承継のきっかけは?

中学の頃からスノーボードが好きで、プロになりたいと東京の専門学校に通っていました。3年間ほとんど山で過ごすような生活を送っていました。

承継については、父からは何も言われてきておらず、自分の代で閉めてもいいと考えていたそうですが、私としては、代々受け継がれている家業を続けていかなければ、と思いました。福井に戻って受け継ごうと思いましたが、父からは、まず外で修行してこいと言われ、東京都内の老舗干物屋で働いていました。自分としてはまだまだこの仕事でやっていこうと思っていたのですが、母から「いつ帰ってくるの?」と、連絡があり、色々と考えましたが、2008年に福井に戻り、天たつに入社しました。

店舗の様子

家業に入ってから取り組んだことは?

そもそも自分がいなくても仕事は回っていたので、自分ができる新しい仕事をつくろうと、百貨店との取引き拡大を目指して、積極的な催事出展や、ギフトカタログに採用されるための営業などを行いました。

承継してから取り組んだことや苦労した点は?

2016年に代表交代をして承継したのですが、個人商店から株式会社にしました。法人になることで、これまでより社会的責任を担う立場になることから、公の目標をつくることにしました。それまで理念やビジョンはなかったのですが、「ただただ喜んでいただける美味しい雲丹を創り続ける」という理念と、「雲丹がもたらす喜びで世界を平和に」というビジョンをつくりました。
実際、江戸時代では、藩主に汐うにを納め、藩の御用品として他藩との平和を保つものとして贈り物にされてきたという歴史があります。そういう原点があるので、世界を平和にできるブランドになっていこうと考えました。

苦労した点でいうと、代替わりをした時に、それまで勤めていた販売スタッフが半減し、自分も店頭に立って販売することになりました。スタッフも先代についていたという気持ちもあったのでしょうね。代替わりしたのをきっかけに辞めようと思ったのかもしれません。

また、汐うには、福井県内での認知度は高いですが、県外や海外ではまだまだ認知度が低いです。
銀座の有名鮨屋などにも突撃訪問で汐うにの営業を行いましたが、認知度の低さを実感しました。ブランドとしての認知度を上げるためにも、2025年に日本橋三越に出店しました。
また、HACCP適応の生産工場を新設したり、アメリカのFDA認証を取得して海外に輸出できる体制を整えたりしました。
2019年からはアメリカのニューヨークを開拓していき、2025年から輸出できるようになりました。なぜニューヨークかというと、世界の中心であるからです。東京への出店も日本の中心であり、そこから広げていきたいという思いからです。

天野氏

経営者になった今、取り組んでいる課題や展望は?

今、世界的にも気候変動が問題となっていますが、福井の雲丹もその影響を受けており、ここ40年で20分の1ぐらいに減少してきました。1997年の福井の日本海沖で、ロシアの石油タンカー「ナホトカ号」が座礁した事故がありましたが、その時も石油の影響で3年ほど福井産の雲丹を使うことができなくなったので、県外の雲丹を使うようになりました。同じバフンウニでも各産地で味わいが違うのですが、ここ数年日本中の雲丹を食べ歩いて調べる中で、海岸形状や食べている海藻の種類の違いなどで違ってくることがわかってきました。今ではそういった味わいの違いを特長として活かすために、ブレンドすることで新しい汐うにの味わいを楽しむことができるようになりました。

日本では、1300年前の奈良時代から雲丹が食べられており、この歴史をこれからの100年・200年と残していきたいですし、天たつの汐うにもそうしていきたいという思いです。
「雲丹がもたらす喜びで世界を平和に」というビジョンは、自分の代だけでは実現できない高い理想ですが、一歩ずつ進めていくことで、この言葉が実現される未来に近づいていると思います。