Interview

有限会社 なご呉服店

県外顧客獲得から、敦賀らしい呉服店の在り方を考える。

有限会社 なご呉服店
代表取締役 名子 央さん

会社の事業について教えていただけますか?

昭和22年に祖父が創業し、私で3代目になります。祖父はもともと敦賀の呉服店に勤めていましたが、戦後の焼け野原となった状況の中で独立し、店舗を新築して商売を始めました。当時建てた鉄骨の建物は、何度か改装を重ねながらも骨格は当時のまま今に引き継いでいます。その後、父が2代目として後を継ぎ、地域に根ざした昔ながらの呉服店を守り続けてきました。

家業に入られる前はどのようなお仕事をされていましたか?

京都の大学を卒業後、現地の和装・呉服卸商社に就職しました。両親は「これからの時代、地方の呉服店経営は難しいだろう」と考えていたようですが、私自身ファッションが好きだったこともあり、呉服の世界に身を置くことを決めました。

その会社で7年間、主に関西圏の小売店へ和装小物や呉服の営業に回りました。営業先の店主の方々に「実家が呉服店だ」と話すと、「早く帰って継いだほうがいい」という意見と「衰退していくから継がないほうがいい」という意見が真っ二つに分かれ、当時はその真意がどこにあるのかと考えさせられました。ただ、私には卸売よりもお客様と直接接する小売店の方が花形に見えましたし、活気のある店舗を多く目にする中で、その姿を眩しく感じていました。

事業承継されてから取り組んだことや苦労した点は?

父は当初、「戻ってきても十分な給料を出すのは難しい。今の商社で働き続けた方がいいのではないか」と心配していましたが、私は30歳の時に家業を継ぐ決意をして福井に戻りました。 父がこれまでの店を切り盛りしていたので、私は「現代的でおしゃれな着物」を提案しようと考え、元の店舗の隣に新しく店を構えました。日常的に着物を楽しむきっかけを作ろうと、着物好きの人たちが出会えるよう、着物で飲みに行く会や、京都旅行などのイベントを企画したところ、着物を着る機会を求めていたお客様に喜んでいただき、10年ほど継続していました。現在その店舗は、レンタル着物店としてより気軽に着物に親しんでもらえるお店として営業しています。

社長交代をしてすぐ、店舗のリフォームを行い、家族経営からの脱却を目指して従業員の採用も始めました。当時は雇用条件や就業規則が整っておらず、決まった休みもない不定休の営業だったので、まずは週休2日制を導入するなど、働く環境を一から整えていきました。 また、コロナ禍を機に自社ホームページやSNS、YouTubeでの発信を始めました。当時は多くの人がYouTubeを始めましたが、状況が落ち着くと更新を止める方も少なくありませんでした。私は継続して配信し続けたことで、動画で紹介した商品への問い合わせやSNSでの反響をいただけるようになりました。 かつての呉服店は近隣のお客様が中心で、来店や訪問販売が主でしたが、今ではSNSを見て県外からも注文が入る時代です。オンラインショップだけでなく実店舗を構えて営業していることが、お客様にとっての大きな信用に繋がっていると感じます。 最近では大阪・東京の着物ショーにブース出展をしています。全国から多くの呉服店が出展される中、そこで出会ったお客様が後日SNSやオンラインショップを見て購入されることもあります。

店舗外観

今後の展望をお聞かせください。

SNSやオンラインショップでの購入が増える一方で、あらためて「地域にとっての呉服店とは何だろう」と考えるようになりました。ネットのお客様に選んでいただけるのも、実店舗という土台があるからこそです。

これまで店を守るために「新しいこと」に取組んできましたが、ふとした時に「父の代はどうやって地域の信用を得てこの呉服店を守ってきたのだろう」と思いを馳せることがあります。この地域だからこそ実現できることがあるのではないか。新しい一歩を踏み出した今だからこそ、あらためて地域のお客様に信頼される呉服店の在り方を深めていきたいと考えています。

店舗内観