Interview

株式会社 かゞみや 木瀬 將盛さん

経営改善と店舗展開を両輪で実現。贈答文化を育みたい。

株式会社 かゞみや
代表取締役 木瀬 將盛さん

会社の事業について教えていただけますか?

法人設立は昭和28年です。安土桃山時代の先祖が京都で鏡師をしていましたが、福井に来て、明治初期から海産物問屋を開業したのが始まりです。以前は木瀬産業という会社でしたが、スーパーマーケット部門(元ユース)と贈答部門(現在のかゞみや)がそれぞれ分社化しました。 戦災で資料などが焼失してしまいましたが、私の代で17代目〜20代目ぐらいになるかと思います。かゞみやの事業としては、福井県内の産品をセレクトして土産物や贈答品として販売する事業を行っています。店舗は県内5店舗を展開し、ネット販売も行っています。

店舗の様子

事業承継される前はどのようなお仕事をされていましたか?

東京の大学で経営を学び卒業した後、東京の百貨店「松屋」に就職しました。子どもの頃からかゞみやの後継ぎとして育てられてきたこともあって、中学生の頃には「大学を卒業したら百貨店に入社して修行しよう」と思っていたので、就職活動では、大手の百貨店に全て応募しました。目標としていた百貨店に入社した時は嬉しかったですね。 松屋では、リビング部門や食品部門に所属し、これまで扱われていない商品を仕入れられるよう、全国の様々なお店の商品をリサーチしたり、食べ歩いたりしていました。

事業承継されてから取組んだことや苦労した点は?

百貨店で5年ほど勤務した後、27歳の時に福井に戻り、かゞみやに入社しました。当初は一般社員と同じでしたが、社員さんたちからは、後継ぎが帰ってきたという期待を受けていました。入社当時は、百貨店での経験との落差も感じつつ、まず事業を把握しないといけないと思い、年間の事業スケジュールを把握したり、全店舗を訪問したりしました。顧客獲得のために自分でチラシを作成してポスティングも行っていました。

31歳の時に社長を譲り受けてから、まず経営状況の改善に取組みました。大手コンビニのフランチャイズを行っていたのですが、その事業を辞めたり、スマートレジを導入してDX化を進めたりと、経営や業務、システムの刷新など様々なことに取組みました。 また、ハピリンへの出店や北陸新幹線が延伸した敦賀駅に隣接する新店舗展開も同時に行いました。経営改善と並行して店舗拡大にも取組んだことは、正直苦労しました。 それぞれの店舗で立地やお客様の層が異なるので、例えばハピリン店では、お土産品をバラ売りしてお客様がオリジナルのお土産をアソートできる楽しさも提供しています。観光客だけでなく地元のお客様にも好評です。

店舗の様子

今後の展望をお聞かせください。

かゞみやは、福井県内各地の産品を土産品や贈答品として取り扱っているので、福井県を紹介する入口の一つだと思っています。各店舗の売上アップという経営的な側面はもちろん大事ですが、日本の「贈答」という文化を深く、かつカジュアルに広めていけられたらと考えています。贈答は、ものを贈り合うだけではなく、そこには、日頃の感謝や御礼など人の気持ちがこもったとても良い文化です。人と人が贈り物で繋がり合う機会を日常的に行う文化として育んでいきたいです。